Light Coral / 洪申豪(from透明雑誌/VOOID)
当ブログ1本目は、台湾のナンバーガールと呼ばれた透明雑誌の元フロントマン、洪申豪(現・VOOID)による2013年のソロアルバム《LIGHT CORAL》より表題曲です。
台湾独立音楽界代表人物(by Wikipedia中文版)
この曲は作詞作曲はもちろん、歌と演奏も全て一人で行ったそうです。
その上、このアルバム自体が自身で立ち上げたレーベル『Petit Alp Records』からの発行ですし、とにかくDIYの権化みたいな活動してはります。
私の見習いたい三大DIYの権化は、ワシントン D.C.のイアン・マッケイ、奈良の五味岳久、そして台北の洪申豪です。私は音楽やってないけど。
http://petitalprecords.tumblr.com/
レーベルのtumblrでは、洪申豪が手がけたイラストも見ることができます。ジャケットやグッズのデザインも自らこなし、挙句zineを発行したりもしているようです。読んでみたいな〜。
バンド活動を根幹に、インディーレーベルの運営、イラスト・デザイン。あとは地元で中古レコード屋さえ経営していれば、LOSTAGE五味お兄さんと足並みを揃える形になりますね。
『Light Coral』 作詞:洪申豪
In the morning
ある朝
目覚めた時 僕は目にした
温かな珊瑚色の光が
僕を包み 昨日の傷を癒してくれるのを
そしてこう告げた
「もし君が自由を手に入れたいと思うなら、今日手がかりが見つかるかもしれないよ」
いつもどうしていいかわからなくなる
遥か彼方の景色がおぼろげに霞んでいる
世界は僕を忘れてしまった 時間は留まることを知らない
何年も経てばあるいは
全てを手放して君と暮らしていけるかもしれない
In the evening
ある夜
家に帰る時 僕は目にした
優しい珊瑚色の光が
僕を守りながら我が家へと導くのを
そして慰めてくれる
僕に寄り添い明日の夢へと向かって行く
目を閉じれば君の夢はまだそこにある
いつもどうしていいかわからなくなる
遥か彼方の景色かおぼろげに霞んでいるみたいだ
世界は僕を忘れてしまった 時間は留まることを知らない
何年も経てばあるいは
全てを手放して
二度とくだらないものに追いすがったりはせず
これからは君とこのまま好きなようにやっていけるさ
学習メモ
単語 | 拼音 | 品詞 | 意味 | 備考 |
---|---|---|---|---|
珊瑚 | shān hú | [名] | サンゴ | |
抚平 | fǔ píng | [動] | (心の痛みを)癒し合う | |
线索 | xiàn suǒ | [名] | 手がかり | もしくは物語などの筋道 |
不知所措 | bù zhī suǒ cuò | [成] | どうしたらいいかわからない、慌てている様子 | 「措」は取り計らうという意味の付属形態素 |
飘渺 | piāo miǎo | [形] | かすかではっきりしない | 抽象的な「ぼんやり」≒「儚い」? |
朦胧 | méng lóng | [形] | ぼんやりとしている | 対象が具体的な傾向? |
能够 | něng gòu | [動] | …できる(書き言葉に多い) | 「能够」は「能」で全て代替可能だが、「能」に単音節動詞が続く場合(例:他很能吃=彼はよく食べる)は「能够」で代替できない |
指引 | zhǐ yǐn | [動] | 連れて行く、先導する | |
仍然 | réng rán | [副] | 依然として | |
仿佛 | fǎng fú | [副] | あたかも(…のようだ) | 「好像」と似て動詞にも副詞にもなる。「似乎」は動詞にならず、比喩には使えない |
追寻 | zhuī xún | [動] | 追い求める | |
随心所欲 | suí xīn suǒ yù | [成] | 思うままに振る舞うこと |
ソロになってからのこの人はなんか淡々としているところが良いです。
曲も詩も絵もただそれ自体が楽しいから続けていて、それが生活そのものであるという感じ。その先にある大きな夢とか野望なんかのためではない。
だけどこの社会でその態度を維持するなんてナイーブすぎて尖っている。時々生きづらい。
そういう時に珊瑚色の光を目にしたら、肩の力を抜いてまた続けていける。
という感じの歌ですかね。
書いていて自分自身の色眼鏡が強すぎる気がしないでもない。が、解釈するって多かれ少なかれそういうことだしまあええか。